40歳のフィロソフィー

40歳を迎えるにあたって、人生を考え直しています。価値のある人生とは何か、ちゃんと考えて生きようと思います。家族に恵まれ、仕事に恵まれ、幸せな環境にいるのだと思います。だけど、自分の人生、今のままでいいのかなと考えます。もう一度、このブログを通して、ゆっくり考えていきたいと思います。40歳だって、まだまだ成長できるはず!

嫁を選ぶ基準

今になって振り返ります。

 

結婚相手を選ぶ基準、つまり嫁を選ぶ基準は、以下の3つです。

 

1)2見(今の外見、将来の外見)

 

2)3観(価値観、常識観、人生観)

 

3)4覚(金銭感覚、清潔感覚、食舌感覚、性感覚)

 

 

ただし、これをどう見極めるかがもっと大事。

 

1)とはつまり外見。

チェックするところはすっぴんとスタイル。ざわちんを見ていればわかるが、化粧をした顔は、技術でいかようにも変えられる。でも結婚したら、8割以上は化粧の顔よりもすっぴんの顔をみることになる。ベースとの肌のきれいさ、目もとをチェックしてみよう。夜を共にして、朝、すっぴんを見て判断するしかない。

 

今の外見で見極めるべきポイントのもう一つは、スタイルだ。上記のように顔は化けられる。でもスタイルは変えられない。どのような服を着てもスタイルが大きく影響する。手足の長さ、骨格、これは努力では変えられないのだ。

 

もう一つ、その人の母親をチェックしておこう。30年後の嫁の姿が見えます。

生理的に受け付けられない場合、気をつけたほうが良い。

 

 

2)を見極めるには、海外旅行に1週間ぐらいいくといいと思う。

慣れない場所で、24時間×7日間も過ごせば、その人の本当の姿がわかる。

ストレスを抱えたとき、不安なとき、楽しいときなど、多くの場面で、その人がどういう判断や行動をとるか。

 

 

3)の中でも重要なのは性感覚、いわゆる体の相性だ。

見極める方法については、あえてここで書かなくても良いかと思う。

ただ、1年以上付き合っても、飽きないか、マンネリして気持ちが萎えてきていないか。その減衰度合いが強ければ要注意だ。

 

 

 

結婚とは、半径5m以内にその人がずっと一緒にいることです。

そこの居心地、安心感、空気、そのものです。

 

女は結婚すると変化します。

恋という魔法に惑わされながらも、すこし冷静に見ることが必要かと。

2見、3観、4覚をおさえて、将来の嫁にも恋しよう。

 

 

そこんとこ、忘れないでおこう。

 

 

40歳の優先順位 目的の再設定

人生をどう生きていくか、何を目指すか。

 

40歳はそれを問い直すタイミングだ。

 

自分は、何を軸に判断すべきなのか。

 

これまでは、一番何に縛られて選んでしまっていたのか。

 

これまでの自分の目標は、

 

「良い大学に行き、有名な企業に入り、競争に勝ち、人より早く出世する。人よりお金をもらって、良いものを着て、良いところに住む。」

 

ということがどこか中心にあったと思う。

 

言い方は変わっても、結局、根本の発想はそこから来ているように思う。

 

ただ、それは、

 

「誰かが決めた基準で自分の人生を生きているってことじゃないの?」

「それは、言い換えれば、他人のために生きているってことなんじゃないの?」

 

 

 

人生をどう生きていくか、何を目指すか、40歳で問い直すのであれば、

 

「自分のために、人生の目的を設定しよう」

 

世の中や周りの人間が決めた「良いこと、すごいこと」ではなく。

 

 

解放されよう。

他人が決めた基準から自分から。

 

解放されよう。

自分で決めたと思ってたけど、知らず知らずのうちに他人に決められた軸に洗脳されていた自分から。

 

かっこ悪くてもいい、誰にもすごいって言われなくてもいい。

 

ただ、

「自分が幸せになるために、素直に自然な本当のありたい姿」。

「自分だけの幸せのカタチ」

 

それが40歳の新しい人生の目的の再設定だ。

 

目的が再設定されたとき、自分の今の場所が最適な場所ではないかもしれない。

 

でもそれは、何かを「あきらめる」ことではないのだ。

でもそれは、何かから「逃げる」ことではないのだ。

 

軸が変われば、目的が変わる。目的が変われば、生き方が変わる。

生き方が変われば、今、あなたがいる場所が変わる。ただそれだけ。

 

そこんとこ、忘れないでおこう。

飲み会対策

40近くになると、えらい立場の方をお酒を飲む機会が増えますね。

こちら側のチームの一番上という立場で行くことも増えてきました。

 

もちろん営業目的なので、お酒が飲めないとか、そういうことでムードを壊すわけには行けません。そこそこ飲めないと、男としての器にも影響します。

 

そんな機会が増えた私が、飲み会の前の準備として行っていることが3つあります。

 

1. PCを含め、荷物を極力軽減

→酔っ払っても粗相しないため(PCとか資料とかどこかに置き忘れるとか論外)

 

2. 多少、食べてから行く

→お腹が空いて、会食の食べ物にすぐに手を出して、お客さんとのお話そっちのけみないなことにならないように、食欲をある程度充しておきます。

 

3. ウコンとヨーグルトドリンク

→大量の酒を飲んでも、酔っ払いにくいように胃に膜をはり、アルコールの消化に良いとされているウコンドリンク↓を飲みます。

 

              
 

 これをやれば、心置きなく、飲み会の目的である、盛り上がって人間関係を構築することに集中できます!

 

あとは、お迎え、お見送り、支払いをスムーズにやることを怠らず、楽しい会にするだけ!

 

そこんとこ、忘れないでおこう!

 

40歳の青春

40歳になると目標がうすらぐ。

 

20代で就職活動をした時、否応にも「自分が何をしたいのか」を考えなければならなかった。

 

しかし、20代〜30代で仕事も一通りできるようになってきて、20代に見えていたゴールは達成できてくる。その頃に見えていたのは、今となればそんなに高い目標でなかったことに気づく。

 

気づいたところで、さらに一つ二つ上の目標を掲げる機会がなかなかない。

30代後半は、20代の頃のように、一斉の就職活動などの社会的な外圧に従ったイベントもない。

 

目標はある程度達成できてきて、かつさらなる目標を掲げるきっかけもない。

それが40代だ。

 

自分の限界も悟ってしまう。

頑張る馬力も無くなってきているから限界という言い訳も自分の中で浮かび上がってくる。

体力や記憶力などが昔に比べて落ちたこと徐々に実感し始める。

 

経験で鋭いツッコミをすることには長けてきた。

 

ただし。30代前半のスーパーサイヤ人たち並みの直進力はない。

 

これが40歳だ。

 

ここが分岐点だ。

 

ここで、新たにつき動ける者のみが、一歩上にも乗れるのであろう。

 

大半の人間がここで流れに任せて活動量を落とす。

 

うまいこと、省エネで生きて行く手段ばかりを探すようになる。

 

この分岐点での差は、「どれだけ自分を突き動かせる工夫をするか」。

 

まわりに言い切ってしまって、やらざるを得ない環境に自ら追い込むのもよし。

そういう人の近くに行くもよし。

一つだけ普段と違うことをやってみて、踏み出すのもよし。

興味あるスクールやセミナーに行くのも良い。

 

とにかく、いつもと違う違和感のあることをやってみよう。

 

そしたら何かが変わり、そこは案外、自分の居心地の良い場所だったりする。

 

動くことで、昔の感覚を取り戻し、ふつふつと体が動いてくるかもしれない。

 

40代なんで、まだまだ若造であることに気づく。

人口論でいえば、半分以上は年上の日本社会なのだ。

 

青春は自分でワクワク感を作り出そうとする限り続くのである。

 

あの10代の頃のように、新しい世界を知ることのワクワク感を。

 

そこんとこ忘れないでおこう。

 

 

コンサルタント秘伝の5つの思考法+1

コンサルタントを始めて15年以上。

 

特に磨かれたものは、「思考法」、いわゆる「考える技術」である。

 

個人的に、考える力は技術によって鍛えられると考えている。

 

思考法とは、物事の問題を解決したり、新しいものを創造するためのプロセスやフレームワーク、視点を総合して言っていることが多い。

 

中でも私が使えると思う思考法が5つある。

 

1)ロジカル思考

これはかなり一般化したので、特に語るつもりはないが、

MECEという考え方と二項対立さえ頭に入れておけば大して難しい思考法ではない。

使えば使うほど、ロジカルに物事を切ったり、整理したりすることができるようになる。基本はロジックツリーをスイスイと作れるようになれば問題ない。

 

 

2)メタ思考

実のところロジカル思考にも必要な要素である。

要は、具体的事象をどのように抽象化・概念化し、汎用的なフレームに整理しておけるかということである。具体的事象を抽象化・概念化できると数多く現れる具体現象がどういう因果関係であるかがより早く、綺麗に理解できるようになる。

複雑な事象を整理するにはメタ思考が必須である。

 

3)アナロジー思考

メタ思考と併用することで、物事を応用することにつながる。

要はある領域で起きている具体的事象を抽象化・概念化し、それを他の領域に当てはめる。そしてその概念をその領域における具体的なものに分解する。

 

これにより、記憶や経験というものを抽象化・概念化し転用・応用できる幅が格段に向上する。あらゆる事象のパターン認識やはめ込みが可能となり、格段に解決力や創造力が上がる。

4)コンテクスト思考

論理ではなく、目的に対する共鳴や価値観に対する共感を元に、答えを導き出す方法である。また、内容そのものだけではなく、その前後の背景に着目し、どのように物事をうまく組み立て、伝えるかを考えていくことである。端的に言えば、論理思考が「納得感」や「合理性」といったことで解を作り上げるのに対し、コンテクスト思考は「面白さ」や「情緒・感情」に着目する。さらには、論理思考が「正しく分けること」を武器に整理していくことに対して、コンテクスト思考は「つなげること、融合すること」を目指して解を導く。

5)循環思考

構造変化させ、創造していくためには循環して物事が相乗効果を発揮しあい、AがよければBがよくなり、BがよくなればCが良くなる。Cが良くなることで全体がおおきくなり、Aがより良くなることにつながるという正の循環サイクルを作り出すという視点である。新しいことが生み出し、継続していくために循環思考で物事を捉えていくことが求められている。

これらの思考法をうまく駆使して、どのようなテーマにおいても

正しく、創造的な問いと答えを導き出せる価値を身につけられたのではないかと思う。

 

もう一つ、今、コンサルタントに欠かせなくなってきてる思考法がある。

 

6)デザイン思考

カルフォルニアに本拠地を置くIDEOなどに代表される、デザイン思考だ。

テクノロジーの進化が激しい現代の世の中においては、過去の事象から線形的に未来を予測し、最適解を導き出すことが極めて難しくなっている。このような不確実性を前提とした最適解を導き引き出す手法としてデザイン思考というアプローチが注目を浴びている。

 

そして、このデザイン思考アプローチのスタートポイントとなるのが、Human Centric Designである。人間の深層心理や言語化されていない無意識のレベルまで観察と洞察を繰り返し、共感という心と心の呼応を始点とする。そして、そこから導き出された発想・アイデアをいち早くプロトタイプにして、検証する。これらを高回転で何度も繰り返すことで、最適解に近づく。

 

要は、これまでのように、じっくり時間とお金をかけて、全体を分析して構想し、確度高く当たりそうなところに一気に投資をするといった方法ではなく、何が正しいかわからないから、目の前のものを深く観察し、「もしかして」というものを試しながら、答えに近づく。

 

これから企業は、デザイン思考で事業戦略を実現させていく組織に変えていかなければならない。いち早く試行と検証を高速回転できる、一度や二度の失敗を許容する組織に変化しなければならないのである。

 

これら6つの全てに共通するのは想像と妄想する力。

夢見る少女が一日中、物語の中に入り込めるぐらいのイマジネーションと観察力が必要である。

教科書に書いてあることを一生懸命覚えてテストでいい点数を取るという教育では計れない力だ。

「頭が良い」の定義は明らかに変わってきた。

 

そこんとこ、忘れないでおこう。

 

 

 

 

運動エネルギー

ある企業の偉大な経営者が言っていた。

 

人間は歳をとると、「運動エネルギー」よりも「位置エネルギー」が大きくなる。

 

位置エネルギー」とは、その場に留まろうとする力のことだ。

高く位置すればするほど、その力は大きくなる。

一方で、「運動エネルギー」とは、その場に留まろうとせず、動こうとする力だ。

重力に逆らって上に行くためには、強い運動エネルギーが必要だ。

 

私も知らないうちに「位置エネルギー」が強くなってきた。

昔は「運動エネルギー」だけしかなかった。

 

もう一度、「運動エネルギー」を高めなればならない。

 

高校の時、サッカーは走らなければ絶対に勝てないって言われたっけ。

 

そこんとこ、忘れないでおこう。

 

平等に用意されているもの

 

人生の価値を生み出すために誰にでも平等に用意されているものがある。

 

一つ目は「ココロ」

ココロのもちようは、その人に託されている。

イライラして、自分も周りも台無しにすることも。

受け入れて、肯定して、空気の色を変えることも。

どうせなら、ココロとうまく付き合って、何事も楽しく生きていこう。

ココロを高めて、没頭して、前向きにチャレンジしよう。

ココロのもちようは、その人に委ねられている。

 

二つ目は「時間」

価値あるものに触れて、価値あることを成し遂げるためには

それなりの労力を割く時間が必要。

時間は唯一、すべての人に平等に与えられた限界あるリソース。

時間は「あるもの」ではなく、「作るもの」。

大切な何かのために、「時間を作る」意識が必要。

 

 

そして世の中には、この二つをより作り出すために使えるのが
「お金」というものだ。

お金は、「ココロ」を上げて、「時間」を作るための道具もなり得る。

自分のココロが元気であるために、時間を少しでも作り出すために

もう少しお金を使ってもいいのかもしれない。

お金ができれば、少し落ち込んだココロに栄養を与えるために使おう。

お金ができれば、自分らしい時間を少しでも作り出すために使おう。

 

昔は「ココロ」も「時間」ももっと持ってたように思う。

でも「お金」はなかった。

 

今は逆かもしれない。

 

そろそろお金を、「ココロ」と「時間」のために使おう。

 

「お金」よりも、自分の「ココロ」、「時間」の方が足りなくなってきたのだから。

 

そこんとこ、忘れないでおこう。